女性文学と和歌:平安朝の代表作品

2月20日、表題の講座を受講してきました。


講師は、Jordi Mas先生

100人近く入るセミナー室は、ほぼ満席。うち日本人は、私と義理できている大使館関係の方だけ(汗)残りは全員スペイン人の学生です。(フランス人もいたかもしれないけど、そんなの区別がつくもんか!)


取り上げた作品は、

伊勢物語
土佐日記
古今和歌集
蜻蛉日記
和泉式部日記
紫式部日記
枕草子
源氏物語

この中で、伊勢物語の一部、土佐日記の冒頭(おんなもすなる・・・)、枕草子の第一段(春はあけぼの・・・)と「すさまじきもの」、紫式部日記の一部(清少納言批評と、「日本書紀の君」のところ)は実際にスペイン語訳を朗読して作品を紹介していました。

1時間半でこれだけの内容をやるのは、進学塾の詰め込み的な雰囲気はありますが、スペイン人向けの講座としては、よく整理されていたと思います。
日本人にとっては、当たり前のことばかりの内容でしたけれどね・・・。


先生はまず和歌を紹介するところで苦労してました。スペイン語訳で朗読した和歌に対する生徒の反応があまりにも悪い(「この歌のどこがいいの?」みたいな)ので、「この歌なんてオリジナルはすごくきれいなんだけど、スペイン語訳では伝わんないよね。」だって(笑)


まあ、和歌は31音声で構成され、それぞれが5,7,5,7、7で区切られる。西洋のポエムの韻のようなルールがあるように、音声の部分が訳にでてこないことで、音響美が削がれているくらいの解説がないと理解はしてもらえないかも・・。

これって、日本で漢詩を読み下し文だけでからおもしろくないのと一緒ですよね。漢詩ってのは中国語の音で聞くとものすごくきれいなんだから。詩と音を切り離して考えちゃいけませんぜ。これ詩の原則でしょ?(笑)

方違え(かたたがえ)の解説にも苦労してましたね〜。ありゃ一言、二言で解説するのは無理ですわ(笑)

先生は、平安期に女性文学が発達した理由として、「当時の女性は顔を隠していて、服装(十二単)や歌の内容だけできれいかどうかを判断されていた。表にでたり、スポーツをやっているわけではないから、エネルギーが余っていた。そのエネルギーが文学表現という方向に向かった」と解説してました。
でも、その発生要因については、宗教的、歴史的側面をみないといけないんじゃないかなと思うんですどね。古代日本では女性は神と交信ができる能力がある(巫女)という考えがあったし、言葉には霊的なものが宿ると信じられていたという部分を抜きになぜ女性が書いたのかというのは解き明かすことができないんじゃないかなと思ってるんですけどね〜。
学者さんは文学だったら文学、歴史だったら歴史しかみないからな〜。
まあ、学生さん向けだからこの程度の解説でもいいのかな。(笑)


ひらがなの成立について説明をしていたときに、私もふと疑問に思いました。

ひらがなが漢字(万葉仮名)から発生したというのは、日本人ならみんな知ってるけど、なんであれができたんでしょうね?

墨消費の節約?コピー速度を速くするため?

物事の進化、変容には必ず理由がなきゃならないっす。そこがひらがなについては欠けているような気がするんですね。そもそも元になる万葉仮名ってのは、同じ音声でも違う漢字を使うことで意味を二重に持たせるようなことができました。でもひらがなにするとそういうことができなくなるんですよ。つまり表現としては退化していることになる。
でも、案外二重の意味をさらに隠せるようにするためにわざと使いだしたのかな?
そう考えると古今集あたりの歌を万葉仮名に置き換えると暗号がぽろっとでてきたりして(妄想)

いろいろ妄想を含めて楽しい1時間半でした。