住所

今日、ちょっとした用事がバルセロナ市内であったので、教えられた住所をたよりにそこに行ってきたんです。



欧米、また中国の都市部などでは、住所は通りの名前と番号の組み合わせで決めているので、比較的わかりやすいですね。地図で通り名前だけを確かめればほぼ間違いなくたどりつけます。その通りにたどり着きさえすれば、片一方は奇数番地、もう片方は偶数番地できちんと順番に番地はふられているわけですからね。



だから、知らないところにいってもこの体系さえ知っていれば、割と簡単にたどり着くことができます。



それに比べると日本の住所システムというのはわかりにくいですね。富士見台3−5−16なんて住所を、地図をたよりに探しているとすると、3−5−11、3−5−12、3−5−13ときたあとにいきなり3−5−22に飛んだりして、焦った経験ありませんか?


大都市の中心部だとわりと親切な案内版が要所要所にあるけど、それでも私は港区や千代田区の裏通りでは迷うことがありますよ。



それが地方にいくともっと大変なことになります。たしかに地方にも手書きもどきの町内の看板地図を見かけることはあるけど、あれって店の名前がずらりと書いてあるだけで、現在地も方角も書いてなかったりするから土地に不案内な人間にはまったく役にたたなかったりします。


それにしてもなぜ日本の住所体系はこんなにわかりにくいのでしょうかね?


日本ってとこは、同じ共同体にいる仲間にはわかりやすいけど、共同体の外の人間にはわかりにくいシステム的特徴(日本語自体もそういうところがあるし)があるからその延長線にありそうですね。

つまり昔は部落単位(今なら町内会単位とでもいうのかな)で生活ブロックがなりたっていたから、その部落の中での番号を持っていれば住所として成り立ったということなんでしょうかね。つまりヨソモノの便宜は図らないみたいな。



それとも通りが多すぎてつける名前が足りなくなるからなのかな?


でも通りの名前なんていくらでもつけられるような気がするんですけどね。


港区織田信長通り14番地なんてあっても楽しいと思うんですけど・・・。