古典を外国語で読む(3)


更級日記


更級日記は、和泉式部日記や紫式部日記と大きく違うのは、日記がカバーする期間です。和泉式部日記、紫式部日記が1年から3年くらいの期間について書いているのにたいして、更級日記は少女時代からの約40年間を題材にしています。



その折々に書かれた日記というよりは、回想録に近い形態ですね。



また、作者については、菅原孝標の娘ということで通っていますが、この本では「作者不詳」ということになっています。まあ、日記の中には自分の父親が何年にどこそこに赴任になったといいった記述が多いので、父親がだれかを特定するのは簡単なことなんでしょうね。



さて、この日記は、下総(今の千葉県)から京都に引っ越すシーンから書かれています。途中では富士山や三河の国についての記述がありますが、非常にあっさりと書き流されています。こういうところからも後年になって回想録として書かれたのではないかという想像が簡単につきます。



少女時代は、「源氏物語」にハマっていたこともあったようですね。それにしても、この人はやたらとあちこちに旅行に行ってた人なんですね。



石山寺とか鞍馬山とか伊勢神宮とか現代人の感覚ではお散歩気分でいけるくらい近距離ですけれどまともな警察組織のなかった平安時代に女性がそれだけ旅行にいってたというのはちょっとした驚きです。


一応旅行の理由は宗教的理由、つまりお参りなんですけど、この日記を読んでいると「平凡な生活から解放されたい。」という気持ちがまず先にあって、そこに「お参り」という大義名分をつけていたようにも読み取れます。



Wikipediaをのぞくと、この旅行をして作家の仏教への傾斜と言っているようですけど、私からすると、それはちょっとカッコよく解釈しすぎてるんじゃないかなと思います。
この人はむしろ、活発で旅行が好きな女の子で、現代の日本女性に通じるものがあるように感じました。



今回三冊の日記をスペイン語で読んだのですが、そこで素直に感じたのは、この時代の読み物について後代の学者たちがあまりにも「仏教観」とか「無常」とかを強調したあまりに、それに即した現代語訳しか世の中にはないのではないかという疑問です。


外国語に翻訳された古典を読むこと、これはまったく別の角度、それも日本人が想定しえない角度から作品を照らしだすことでした。

古典につきものの、おそろしく複雑な敬語表現がすべて取り払われた結果、作者のいいたかった部分がくっきりと浮き上がってきたような気がします。



非常に楽しい経験になりました。